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2007/08/31
「ぼくらの『夢物語』を創った天才谷口ジロー」
これは おおきな 創作者による 渾身の作品と思った。
若者には 理解困難かもしれない。年寄りには 夢と希望と哀愁をあたえてくれる作品。
かって このような 作品にはであったことはない。
この作品は 谷口ジローが 自分で構想し 創り上げた奇跡の作品である。
48歳の主人公は 突如 『時をかける少年』となる。
中学生に戻ったのだ。
しかも、48歳生きてきた経験をもっったまま。
場所は鳥取県倉吉市。この町で 彼は少年時代生きていたのだ。祖母、母、父、妹。
少年は 身体が軽くなる。走ることに苦痛なし。
クラスの 皆のあこがれのまと 賢く美しい少女と つながり、お互いを愛し合う。このあたり、おませで勇気がないとできない行動だ。周りも認めてゆく。
ぼくは この少女を愛する。これほど美しく賢い少女を見たことがない。
彼女の姿は 下巻の第5章「夏の風景」の巻頭の絵を みてほしい。
すばらしい。
さらに 個性あふれるおませな友人達。
こんなこと あの時代に この倉吉市では 実際にあったのだろうか。
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父は黙々と仕事をし家族のことを配慮している。その父が 失踪する!それをとめようとする少年。しかし不可能であった。
父の失踪を ゆるす 豊かな母。そして 母の死。
全てが 優しいのである。
《自分に 真剣に生き、人の生き方を 大事に大事にしている。》
こんな夢のような世界が 倉吉市にあったのだろうか。
最後のあっと驚く結末。父の姿が見える。錯覚か。
『父の暦』とくらべ この作品は ぼくたちを 仰天させ、翻弄させてくれる。 この翻弄こそ ぼくたちが望んでいたこと・夢物語。
谷口ジローは そんな世界を 仮想であろうと 具体的に創作してくれた。
この 作品をみたら 自らの 人生を 思い切り 振り返ること可能となる。
すばらしい 夢。
ありがたい。やはり 谷口ジローは天才である。
2006/04/21
「原作なしのオリジナルでは代表作の一つといえる名作」
初出はビックコミック。全2巻の作品。‘04年に1冊にまとめたものが再版されている。原作はなく著者のオリジナル作である。
都会に住む48歳の男がタイムスリップして14歳の頃に戻ってしまう。記憶はそのままである。つまり48年の人生を経験した14歳である。人生をやり直しているようなものだ。身体も軽いし、勉強、友人、全てが新鮮である。
男の父は、家庭は円満だったにもかかわらず、彼が14歳のとき、誰にも何も告げずに家を出てしまっている。彼はその理由をいまだに知らない。タイムスリップした彼は、父が家を去る時になんとか引き止めようと説得するのだが、父の気持ちが理解できたと同時に自分の気持ちにも気付いてしまった“48歳”の彼は止めることが出来ない。結局、何も変えることが出来ないまま彼は記憶を取り戻し、もとの生活に戻る。そして、ある日、家に届いた小包を開けると…。
ストーリーとしては目新しいものではないし、小説だとしたら力量がある作家でないと駄作になりそうである。しかし、これが谷口ジローの絵(人物だけではなく背景もふくめた絵である)で描かれると素晴らしい作品となる。大人のマンガである。原作なしのオリジナルとしては代表作の一つに数えられるだろう。
谷口ジローは欧米での評価が高い。この作品もヨーロッパでいくつかの賞を受賞している。詳しくはわからないのだが、ストーリーを重視する傾向にある日本の漫画に対し、欧米では絵を重視して、絵自体で何かを表現する作品が多いようだ。90年代以降の著者のオリジナル作は殆どが地味である。しかし、「絵だけで物語を表現」できる彼の評価が高いのは当然なのかもしれない。
2005/09/14
「ノスタルジーの発見力」
中年サラリーマンの主人公が、突然14歳の頃にタイムスリップする。失われた故郷を懐かしみ、忘れかけていた過去に問いかける。母は本当に幸せだったのだろうか。その鍵を握る父はなぜ突然失踪したのか。そして、祖母の口から語られる二人の過去を知ることで、その答えを探しはじめる。 48歳の経験・知識と14歳の肉体をもって追体験する新しい過去は、全く別の輝きを放つ。雄大なる山陰の空気に触れ食べる弁当の旨さ、苦手だった体育も、つまらなかった勉強も、全てが新鮮に感じる。話すこともできなかった憧れの人との濃密な時間。思い出すことさえなかった友との友情。 しかし、決定的な過去の出来事は、小癪な干渉を厳然と拒絶する。知らなかった真実を知った。ただそれだけ。何も変わらない。ただ、子供の頃の自分はなす術がなく、大人の自分は父の秘めた想いに共感し諦観する道を選んだにすぎない。 「きっと誰も大人になんかなれないのだろう・・・ 人は気持ちの奥深いところに 子供のままの自分を持ち続けている・・・」 主人公は、最後まで標準語でしか話さない。故郷の言葉を失った異邦人である。結局のところ、傍観者にすぎないのだ。その不確かな存在は、当然のように大いなる時の流れ、歴史と呼んでもいいかもしれない濁流に呑み込まれ、いくつかのささやかな未来の追憶はふいに中断される。そして、現実に戻る。 ラストシーンを、現実か虚構かと問うことは無意味である。過去は何も変わらなかった。しかし、主人公は確かに答えを見つけることができたのだ。父や母との二度目の別れをとおして。 郷愁のなかに新たな発見があり、未来がある。美しい大人のおとぎ話である。
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